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終戦のエンペラー 
(2013年 日本/アメリカ)
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監督 :ピーター・ウェーバー
出演 :マシュー・フォックス トミー・リー・ジョーンズ 初音映莉子  西田敏行  羽田昌義
     火野正平 中村雅俊 夏八木勲 桃井かおり 伊武雅刀 片岡孝太郎  他


敗戦直後の日本を舞台に、その後の日本の運命を決定づけた知られざる感動の物語を、マッカーサー元帥の指示で天皇の戦争責任の有無を調べることになった親日派の青年フェラーズ准将の目を通して描く日米合作の歴史ドラマ。(all cinema)




このところ、日本の近代史に、深く興味を持つようになった。
映画の予告を観て、当然興味が湧く。

日米の合作映画。

監督は、「真珠の耳飾りの少女」「ハンニバル・ライジング」のピーター・ウェーバー監督。
映画の中にも登場する、宮内庁の関谷サンという方のお孫さんにあたる奈良橋さんという方が
実際に制作に関わってるとの事。




さてアメリカは
GHQ占領下の戦後の日本をどう描いているんだろう。(監督はイギリス出身のようだけど)
アメリカから見た日本。アメリカから見た天皇。





で、映画観た感想は・・

率直に、なかなか面白かったです。


ハリウッド映画ではよく見かける、「これはどこのニッポン?」みたいな
勘違いされてる、若干ズレてるような「日本観」ではなくて
割と繊細に、自然なカンジの日本が描かれていた。
その点は、すごく拘ったんだろうな~と思う。

原爆投下直後の、大きな大きなキノコ雲を見た時には
とても哀しい気持ちになった。

その割に
「この戦争はなぜ起きたのか」というような
根本的な問題はこの映画では触れられていない。
(中村雅俊さん演じる近衛文麿が言ったセリフが、少し溜飲下げさせてくれるけど)

肝心なところが描かれてない事は
ちょっともどかしくもあるけれど


この映画は、あくまで
マッカーサーが日本に降り立ったその日から以降を描いているのだから仕方ないか。


まあでも、いつもの様な「正義のアメリカ」を、やたら振りかざす風でもなく
淡々と、比較的中立的な視点で、理性的に描かれていたように見えた。

とはいえ、私は実際に戦争体験者じゃないので
「そう見えた」だけで、実際のところはどうなのか、何とも言えないんだけども。



マッカーサー元帥役の、トミー・リー・ジョーンズは
缶コーヒーのCMでもお馴染みの親日家。
写真で観た事あるパイプ咥えたマッカーサーそのままのようななりきりぶり。
立ち居振る舞いといい、存在感といい、こりゃもう適役だわ。と感心する。


マッカーサーは
日本を平和的に統治する、という任務を遂行する為に来た。


戦争責任は誰にあるのか見つけ出し、逮捕し裁判を受けさせる事も任務の一つだった。

本部からは「天皇の戦争責任」についてもせっつかれていたけれど
彼個人の考えでは、天皇を逮捕する事は、できれば回避したかった。
なぜなら、それをすれば、国民の暴動に繋がり、平和的統治が難しくなるから。

天皇の存在があったから
あれだけ傷ついた(敗戦した)日本において
国民は、なんとか踏みこたえている・・と、マッカーサー自身、肌で感じたのかな?
だから、日本国民が天皇に抱いてる念を打ち砕いてはいけない。という判断をしたのだと思う。

そして彼は
親日派のフェラーズ准将を、調査の責任者に据えた。


この、マッカーサー&フェラーズが、戦後の日本に関わった事は
「敗戦」という大きな不幸に見舞われた中の、小さな幸運と言ってもいいのかもしれない。

功罪色々あったかもしれないし、断言できる立場でもなんでもないけど

少なくとも、この映画の中の彼らは
日本人を理解しようとする努力をしていた。

マッカーサー曰く、「制圧」ではなく「解放」だと。
(帰還後の選挙を睨んでの戦略もあったのかもしれないけど)



ただやはり
良くも悪くも、白・黒 ハッキリさせる文化の彼らに
日本人の「玉虫色」な文化、というのは、到底理解できないだろう。

このあたりは、外交ベタな日本、表現が苦手な日本・・
ああ今現在もそういうところ変わってないよ、って思い当たるフシが多々あるんだけれど
一方で、そういった「ハッキリとした目に見える形ではないけれど、ある種の精神性をジィっと守る姿勢」
というのは、なんとなくわかる・・。

普段は優しくて大人しくて無害である。
不本意な事を言われても、表立ってあからさまに反論しない。
(これは「和の精神」から来てるのかもしれないけど、外国人から見れば「反論しない」=「受け入れた」と取られる)
が、誇りや名誉を傷つけられた途端、民族一丸となって立ち向かおうとする魂。みたいなモノも。

これまたイマイチ、うまく表現できないんだけれど・・

あ、もしかして、こういうところが
外国人から揶揄される「ホンネとタテマエ」「二面性」と言われる所以なのかな・・?


「あやふやでありながら、確固としてる」

多分、こういうのって
外国人の目には、不思議に映るんだろうな、って思う。








ラスト近くの、天皇に謁見(面会)するマッカーサーの場面は圧巻。

これは、観てる方も、ちょっと緊張してしまう場面なのだけど

天皇の側近が
「目を合わせないこと」
「体に直接触れないこと」
などなど、謁見の作法を細かく教えるけれど

マッカーサーはあえて作法を無視し
自身の威厳を見せつけようとする。

それに対しての天皇の振る舞いが
戦後生まれの私ですら、涙ぐんでしまうような・・
思わず、厳粛で清らかな気持ちになってしまったというか・・

普段は気にした事もないのに
ああ、やっぱり私にも日本人の血が流れているんだな、と実感した。





ところで
フェラーズ准将の、恋物語の部分
アヤという日本女性の存在はフィクションで
原作にある日本女性は、恋愛関係ではないようなのだけれども
フェラーズに少なからずの影響を与えたのは事実のよう。

フィクションとはいえ
映画の中のアヤという女性は
とても綺麗で、はんなりと、しなやかで、奥ゆかしさと凛とした佇まいとほんのりとした色香があって・・

・・・アメリカ人って、こういう女性を理想的な日本女性像としてイメージしてるのかな(笑)



結局のところ

謎は解決したのかどうなのか・・
玉虫色の決着だったのかもしれないし

その後に行われた裁判自体も
物申せばキリがない話でもあるし
それこそ、玉虫色だと思うのだけれど・・


まあなんだかんだで
日本人の国民性や、外国人から見た日本観も、なかなか興味深かったし
また、天皇という存在を、改めて考えてみるいい機会にもなりました。




今まで見たアメリカ映画の中では
日本の描写に不自然さがなく、違和感少ないんじゃないかな、と思います。



・・にしても、「天皇」を英訳すると「エンペラー」としか表現できないのかもしれないけど
「エンペラー@皇帝」というのとはちょっとニュアンス違うよなあ・・。










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